幸せとはなんだろうか

幸せとはなんだろうか。人生の中で幸せであると感じる瞬間はあるだろうか。瞬間という意味では、自分は幸せであると感じたことがない。だって、幸せとは感情ではないからだ。幸せであるとあとから認識できるときはもちろん存在する、しかし、その瞬間はは楽しい、わくわくする、おいしい、おもしろいといった感情のみが存在するわけで、ダイレクトに幸せだと感じることは、ない。
 そう考えると、あなたにとっての幸せとはなんですか?という質問にはそれらの様々な感情であると答えることができる。それらの感情は万人共通のものであり、それらを得るための手段が異なっているのみである。ただし、どの感情が幸せに最も関与するか、幸せを与えるかは人によって異なる。

 

ここらの話は長い上に本題にあんまり関係ない。

 

自分はやりたいことがないと思っていた。ある日リクルートスーツ姿の中学の同級生と地元で再会し、その日から真剣に仕事について考えるようになった。愚かなことだが、その時まで自分が仕事につくという想像力、実感をもっていなかったのだ。かなり、焦っていた。自分には武器がない、やりたいことがない。やりたいことというのはおそらく中学の時から考え始め、それからずっと探し求めていたものの一つのように思う。いや、探してるフリをしてずっと自分に言い訳して、嘘をついていただけだ。なぜならそれに挫折するのが怖いから、やりたいことに責任を負うのが怖いから。ずっと逃げていた。2014の冬くらいからそれに気づいて、そう思うようになっていったとおもう。とにかく自分を変えたかった。勉強に本気になり、留学を決意した。それがやりたいことにつながるかといえば、全くつながらない。ただ、今度は逃げない。そう思って本気でやってきて今は奨学金付きでアメリカの大学に受かった。

 

1月と5月に大きな旅行をした。後者の旅行は1ヶ月以上あって、日本に帰ってくるととても嬉しかった。旅行中で嬉しかったことといえばアメリカの大学に受かったことだ。それが自信となってか、帰国後にすごく将来のことややりたいことを探すことに億劫しなかった。

その自信とは別に、もう一つ自分の考えを変えてくれたものがあった。

 

僕がアクセンチュアを辞めた理由 - 元外資系コンサルタントがなぜ鎌倉で自給的生活をはじめたか?

ポルトガルのホテルでこの記事を見た、なんの経緯でみつけたかはわすれた。

これをみながら理解したことが二つくらいある。

一つは自分が他人からの評価やどうおもわれるかにすごくとらわれているかということ。これは前から考えていたが、よりはっきりと感じるようになった。

もう一つは自分らしく生きることの本当の意味だ。以前にも尾崎豊の歌詞から意味を考えてみたが、どれも的を得ていなかったように思う。今の自分は、自分らしさを自分に正直に生きること、自分自身がみとめる自分自身だとおもっている。

この記事をみて肩の力が抜けたような気がした。自分がいままでとらわれていたものから解放された気がした。

 

やりたいことを改めて考えたときに、まず仕事ではなく、こう暮らしたいということがでてきた。以前の自分でも考えていたが、これをやりたいこと、夢だと認識するのはおかしいとかんがえていた。今ではそれを実現するためにいろいろ考え中だ。

 

仕事についてはその暮らしだけでは生まれない幸せ、すなわち感情を得られる仕事にしたいと考えている。ぽっと出では達成感、人に喜んでもらえる嬉しさ、チームワークの一体感などだろう。もちろん自分の思い描く暮らし方にフィットするのも条件だ。

 

とりあえず、そこらへんの幸せについてもっと具体的に、深く考えることと、それらが達成できるような仕事や企業をリサーチやいろいろな体験を通してみつけなくてはならない。