人生設計

参考:

人生設計を立てる | 人生を賢く生きる知恵

人生設計目標計画の立て方

才能も資格もない「普通の大人」が夢をかなえるための人生設計の立て方とは | ビジネスジャーナル

人生設計、それは「時間」をしっかりプランニングすること|ライフプラン研修資料−臼倉登貴雄−

 

目的:幸せになること

 

自分の幸せとは?

旅行する

美味しいものを食べる

心地いい空間にいる

忙しすぎないゆるい快適な暮らし

面白いゲームをする

仲のいい友達と話す

自然と触れ合う

アクアリウム

スキーする

 

その他特別な願望・目的

結婚はわからない

こどもは多分欲しい  女1男1

猫と犬 スコティッシュと柴犬

自分の家と車 家は自分で設計したい

日本の夏を堪能できるところ

ちょい田舎

好きでまあまあやりがいのある仕事

仲の良い人を増やす

 

1.経済的要素(どれくらいの年収を実現させたいのか)

年収800万〜1000万

ちょいなかでできる仕事
2.人間関係的要素(誰とどんな関係を築きたいのか)

狭く深く

家族 もっと会話する

友達 もう少しふやす 自分の基準が狭すぎる

 


3.社会実現的要素(世の中とどう関わりたいか)

誰かにできることがあればやってあげたい

社会に対して恩義を感じることはない

 

4.享楽的要素(お金がなくてもやりたいことは何か) 

 

 

 

キャリア設計

2016~2017の春までには卒業

2017 (24) 就職 日本?海外?

一つの会社に5年は勤めたい

30くらいから転職するかもとの会社続けるか考える

 

どのような仕事につくか

観光(インバウンド)関係

 観光政府局

 観光コンサル

ビジネス関係

 コンサル これも種類いろいろ

 バイヤー

 

ゲームクリエーター

編集者

 

自営業

 料理

 小物売り(バイヤー)

 アクアリウム

幸せとはなんだろうか

幸せとはなんだろうか。人生の中で幸せであると感じる瞬間はあるだろうか。瞬間という意味では、自分は幸せであると感じたことがない。だって、幸せとは感情ではないからだ。幸せであるとあとから認識できるときはもちろん存在する、しかし、その瞬間はは楽しい、わくわくする、おいしい、おもしろいといった感情のみが存在するわけで、ダイレクトに幸せだと感じることは、ない。
 そう考えると、あなたにとっての幸せとはなんですか?という質問にはそれらの様々な感情であると答えることができる。それらの感情は万人共通のものであり、それらを得るための手段が異なっているのみである。ただし、どの感情が幸せに最も関与するか、幸せを与えるかは人によって異なる。

 

ここらの話は長い上に本題にあんまり関係ない。

 

自分はやりたいことがないと思っていた。ある日リクルートスーツ姿の中学の同級生と地元で再会し、その日から真剣に仕事について考えるようになった。愚かなことだが、その時まで自分が仕事につくという想像力、実感をもっていなかったのだ。かなり、焦っていた。自分には武器がない、やりたいことがない。やりたいことというのはおそらく中学の時から考え始め、それからずっと探し求めていたものの一つのように思う。いや、探してるフリをしてずっと自分に言い訳して、嘘をついていただけだ。なぜならそれに挫折するのが怖いから、やりたいことに責任を負うのが怖いから。ずっと逃げていた。2014の冬くらいからそれに気づいて、そう思うようになっていったとおもう。とにかく自分を変えたかった。勉強に本気になり、留学を決意した。それがやりたいことにつながるかといえば、全くつながらない。ただ、今度は逃げない。そう思って本気でやってきて今は奨学金付きでアメリカの大学に受かった。

 

1月と5月に大きな旅行をした。後者の旅行は1ヶ月以上あって、日本に帰ってくるととても嬉しかった。旅行中で嬉しかったことといえばアメリカの大学に受かったことだ。それが自信となってか、帰国後にすごく将来のことややりたいことを探すことに億劫しなかった。

その自信とは別に、もう一つ自分の考えを変えてくれたものがあった。

 

僕がアクセンチュアを辞めた理由 - 元外資系コンサルタントがなぜ鎌倉で自給的生活をはじめたか?

ポルトガルのホテルでこの記事を見た、なんの経緯でみつけたかはわすれた。

これをみながら理解したことが二つくらいある。

一つは自分が他人からの評価やどうおもわれるかにすごくとらわれているかということ。これは前から考えていたが、よりはっきりと感じるようになった。

もう一つは自分らしく生きることの本当の意味だ。以前にも尾崎豊の歌詞から意味を考えてみたが、どれも的を得ていなかったように思う。今の自分は、自分らしさを自分に正直に生きること、自分自身がみとめる自分自身だとおもっている。

この記事をみて肩の力が抜けたような気がした。自分がいままでとらわれていたものから解放された気がした。

 

やりたいことを改めて考えたときに、まず仕事ではなく、こう暮らしたいということがでてきた。以前の自分でも考えていたが、これをやりたいこと、夢だと認識するのはおかしいとかんがえていた。今ではそれを実現するためにいろいろ考え中だ。

 

仕事についてはその暮らしだけでは生まれない幸せ、すなわち感情を得られる仕事にしたいと考えている。ぽっと出では達成感、人に喜んでもらえる嬉しさ、チームワークの一体感などだろう。もちろん自分の思い描く暮らし方にフィットするのも条件だ。

 

とりあえず、そこらへんの幸せについてもっと具体的に、深く考えることと、それらが達成できるような仕事や企業をリサーチやいろいろな体験を通してみつけなくてはならない。

 

 

 

 

情報化社会と自分らしさ

情報が多すぎると情報と思考の均質化が進んで自分らしさが失われるのでは。

- まとめさいととかで同じ意見ばっか

- 簡単に情報得られすぎて自分で考えることに時間をつかわなくなる=思考回路の廃線、情報元と同じ理論回路を持たざるを得ない

- メディアリテラシーでも防げない


自分らしさとは?
自分を認める 「これでいいのだ」=自己愛?

 

 

尾崎豊の歌詞解釈:僕が僕であるために

あたりまえだが主観的な解釈ry

社会や世の理のしがらみのなかで「自分」を持ち続けねばならないというメッセージを持った曲。

 

心すれちがう悲しい生き様に ため息もらしていた

ここからこの世が人とのしがらみをバックグランウンドとしたネガティブな要素で構成されていることを説明している。イメージとしては性悪説や仏教の煩悩。ため息〜 はそのことに憂いている自分。

 

だけど この目に映る こので僕はずっと 生きてゆかなければ

街というのは社会や世の中のこと。人は一人では生きていけない。心すれ違う悲しい生き様を逃れるために一人で生きようとしても、それは不可能なことである。

 

人を傷つける事に目を伏せるけど

もっとも難解なパート①

目を伏せるというのは避けるということで、元来人は人を傷つけようとして生きているというわけではないということ。

 

優しさを口にすれば人は皆傷ついてゆく

もっとも難解なパート②

優しさを口にするの口にするの部分は隠喩であり、優しさが真心ではなく、いっている、口にするだけのごく表面的な優しさを表している。空気読む的な優しさ。

 

人というのは自分と他人であり、それぞれに対して傷ついていくの意味合いが異なっている。

1.自分にとっては

傷つけたくないというのは別の意味では人を傷つけることをしたくないという自分自身の欲望であり、最終的には他人ではなく自己中心的な利益を率先しているということ。それをわかっている自分にため息をもらし、苦しんでいる(傷つく)。

2.他者にとっては

他者の気遣いや優しさに触れ、それが表面的な優しさであると気づいた時に、自分に対する不完全性への情けなさと同時に、相手が上辺だけで真心で接していないことに対する不満がでてくる。表面的な優しさといったが、それは他者からしてみれば自身が傷つかないようにフォローしてくれた優しさなわけで、なんで本当のことを言ってくれないんだという気持ちと優しさ(フォローというおもいやり)に対して真摯に受け取らなければという気持ち(真心)の二つの対立した気持ちの葛藤がでてくる。しかしながら、なんで本当のことを言ってくれないんだという気持ちは自分のエゴであり、元来他者のせいではなく他者に向けるものではない。だから、その欲望を持つ自分に対してもため息が出てくる。二番の、人は皆わがままだという歌詞もこれにつながっている。

 

僕が僕であるために 勝ち続けきゃならない

サビ。AメロとBメロが世の中の憂いを表しているのに対して、サビではその世の中でどのように生きていくかということを提示している。僕が僕であるためにというのは抽象的な歌詞の中でも特に抽象的だが、いままでの歌詞と勝ち続けなきゃならないという部分で意味がおおよそ推測できる。「僕」のイメージとしては自分らしさや芯、アイデンティティー、真心などのコア的なもの。勝ち続けるとはすなわち負けてはならないということであり、一度の没滅も許さないことで、つまり、自分の真心、自分らしさを守るために負けてはならないという意味である。勝ち続けなければならないのは自身を含む人の醜い欲望であったり、人とのしがらみであったり、僕が僕でなくさせられるようなものだ。

 

①正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで 

②僕はにのまれて 少し心許しながら この冷たいに 歌い続けてる

①と②は大きく倒置法が使われているので、①の意味を見る前に先に②部分から見ると分かりやすい。僕は街にのまれての街とは前述したように社会そのもの、社会にinしている様子。少し心許しながらは解釈がふた通りある。一つは社会や人の煩悩に妥協するという意味で、もう一つは人や社会に融和していこうという意味。尾崎の生き方などから考えるとおそらく前者の方が意味が近い。この冷たい街の風にはそのままで、温かみの無い現実的な社会の風当たり(辛さ)。歌い続けてるは前の部分の風にがポイントで、社会という風に抗うように歌う、つまり生きるという意味。

 

①正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで

②の部分では生き方が示されているので、①の部分では生き方に関わる修飾であると考えられる。よって生き方と正しいものとくれば真理と解釈するのが一番適当かと思われる。

 

まとめ

尾崎豊は世の中を楽観的にみようとはせず、世知辛いものとして受け止めている。しかし人に宿るもの(コア)には希望を持ち続けており、サビ以降では僕を守りながら正しいものを探し続けるという強い決意と覚悟がみられる。それらの歌詞とメロディの起伏が非常にシンクロしており、非常にエネルギッシュな曲に感じさせられる名曲である。

 

自分のゲームの嗜好から読み取るゲームを面白くする要素

ランダム性、目的の変遷、自由度、トライアンドエラー

 


ランダム性

ランダム性は主にゲームのやりこみ性とストーリー性を構築する上で重要だと思う。

ディアブロなどは同じ名前の武器でも一つ一つ能力値が違っていて、毎回ダンジョンに潜るたびにわくわくをあたえてくれる。不思議のダンジョンシリーズもランダム性をうまくつかったゲームといえる。潜るたびに形を変えるダンジョンは、「1000回遊べる」というキャッチフレーズがすこし謙虚に見えるほどのやりこみ要素を与えた。

また、ランダム性は時として奇跡的な幸運、また理不尽をもたらす。そのような出来事は時間が経ってもプレイヤーの記憶に刻まれることになり、ひとつの思い出、ストーリーになる。(FM2で、強力な味方がラスボスと戦い続々と倒れていく中、あまり目立たなかった主人公が神回避と神コンボで倒したのは10年前のことだが未だに記憶に残っている)

ただ、最近のゲームはこの要素に依存しすぎるあまり、むだな作業感や徒労感をあたえるゲームの原因となっている。

 

目的の変遷

特にRPGで重要なのがこの要素で、キャラクターの成長を描きやすくなるきがする。

Last of usの主人公ジョエルの目的は、当初武器の回収のためのエリーの護送であったが、エリーをワクチン形成のため研究所に送ろうとするためになり、最後には紆余曲折を経てエリーをファイヤーフライに渡さずにエリーと暮らすことを目指した。目的が変化はエリーとジョエルの関係や、それぞれの成長のターニングポイントとなっている。FFやDQもはじめから魔王や悪役を倒すことが目的ではない。(DQ1とか一部はそうだけど。)はじめは些細なことから小さい目的があって、それを達成していくうちに世界観のスケールとキャラクターの成長が描かれていく。

映画などでもよくこういった手法が用いられていると思う。(特にサクセスストーリー系)

 

トライアンドエラー

これもランダム性と同じくゲームのやりこみ性をふかめるための要素のひとつだが、それよりも、プレイヤー自身の成長というところに重きを置かれている。

デモンズソウルでは、塔の巨人や古の勇士など一見勝てなさそうなボスでも弱点が存在し、それらはトライアンドエラーによって発見することができる。不思議なダンジョンでは、もし倒されてしまったら、なぜ自分が倒れたかを分析し、次回はそうならないように冒険しなければいけない。

ただし、単に敵を硬くしたり、必然的に確率の問題になってしまうトライアンドエラーが最近のゲームに多いことも付け加えておく。 

 

自由度

長くなるので今度別記事でまとめる

 

なぜ自分が都構想に賛成するか

ここでは、大阪都構想に賛成するいくつかのロジックをかいている。自分は政治に全く詳しくないので、自分が出来る範囲で調べてとりあえず結論をだした。あらっぽいが、それでもわからないからといって投げ出すよりはいいかと。

まず大前提として「大阪に変革が必要なのか」を考えないといけない。

まず大阪の財政についてだが、これについては現在様々なデータが飛び交っているためにどれが正しいか判断に苦しむ。とりあえず、大阪の負債が多いことは事実のようだ。現在進行形でこれが減っているかはわからない。中立的なデータがみわけられない。

教育についても学力や不登校者数がダントツで悪いので行政の立ち回りが重要だ。

橋下氏は財政再生のための解決策として大阪都構想の導入による二重行政をあげている。たいして野党は市の現状維持による中身の変革をあげている。

 

都構想は自分はおそらく賛成票をいれるだろうが、それでも完全に大阪全体に+になることは難しいだろうと思う。変革の規模がおおきすぎるし、様々な要素が複雑に絡み合ってさまざまな効果をうみだすだろうからだ。

だからこそ、それを対処、あるいは助長していくのは首長の手腕に大きく依存するだろう。そもそも都構想はパソコンでいうアプリケーションをインストールするかどうかという問題であり、そのアプリをどうやってつかっていくかは都知事と市民の政治意識によって定められていくだろう。個人的には、600億円のコスト云々よりも、「これから大阪市民と都知事がどう動くかによって将来の大阪都の明暗がわかれる」というある意味の不安定さのデメリットの方が大きい。

 

そこはもう数字よりも感覚、直感できめるしかないかと。(数字もある程度の指標にはなるだろうが)

そもそも、現状維持で進んだとして、財源が解消されていくビジョンが眼に浮かぶだろうか。自分は難しい。きちんとした取り組みが大阪でなされていたならばそもそも負債は生まれていないはずだから。

自分は政治的な立場によって意見もころころかえるぶれぶれの自民よりも、知事から一貫して都構想に取り組んでいる橋下の方が期待できると感じたまでだ。

時間がなくてもざっくり大阪都構想を理解するための材料

大阪の有権者は党派に左右されず、本当に自分のため、大阪のためになるか考えて投票してほしい。投票に行かないやつは今後大阪がどうなっても口出しする権利はない。反対だろうが賛成だろうが絶対いけ。

大阪都構想のデメリット、メリットの把握にはある程度の誇張、偏見を鑑みた、清濁併せ呑んだ情報収集が必要だ。双方必死なためあらゆる情報が飛び交っている。


以下の動画が都構想などについてわかりやすくまとめられている。

www.youtube.com

 

池上彰は番組中に「ひとりひとりに考える材料を提供するのが私の仕事」といっている。

この世に中立的な報道など存在しないが、それでも池上彰はできるだけそのような立場をとるように心がけているように感じる。

 

www.youtube.com

 

こちらの動画では与党である維新とそれに反対する共産党自民党による討論が行われている。やはり橋下氏はディベートが強い。論拠うんぬんよりも、話し方が天才。
自民の柳本氏の意見にはなるほどと思うところもあったが、共産党のBBAは...笑